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こんにちは、ゆうきです。
「私の生きる意味って何なんですか…?」と相談に来る方が割と多いんですね。
ですので、この記事で生きる意味を教えます。
「夜と霧」から考える生きる意味
ただ、僕は人生の全てを語れるほど経験豊富ではないので、先人の知恵をお借りしたいと思います。
その先人とは、ヴィクトール・エミール・フランクルさん。
この方は精神科医&心理学者で、「夜と霧」という本を書いた方です。
なぜこの本から紹介するかと言いますと、「夜と霧」はフランクルさんが強制収容所に入る前後のお話をまとめた体験談で、生きる意味と深く関わりがあるからです。
強制収容所で生き残ったフランクル
フランクルさんは、強制収容所でヒドイ扱いを受けてたんですけど、それでも生き残ることができました。じゃあ、なぜ生き残ることができたかというと、生きる意味を知っていたからなんですね。
ということもあって、フランクルさんが考える生きる意味について紹介していきます。
強制収容所とは?
「そもそも強制収容所って何?」って思われる方もいますよね。
有名どころとして「アウシュビッツ」が有名ですね。聞いたことある方もいるんじゃないでしょうか?
強制収容所は、第二次世界大戦でナチスが主にユダヤ人を絶滅するために作った施設です。
家畜以下の扱い
この中でどんな扱いを受けていたのか?
そもそもユダヤ人を絶滅させる目的なので、収容所に入る前に9割を殺したり、残った1割は強制収容所で重労働をさせられていました。
また、感染症がとても流行っていましたし、食べ物もロクなものがもらえなかったんですね。
1日300gのパンと1Lの水っぽいスープだけだったらしいです。(しかも、まだマシな方。)
ちなみに300gのパンはどれくらいかというと、スーパーでよく袋に詰められた食パン売ってるの見かけますよね。ああいう食パンの6枚切りを1枚抜いて5枚にしたのが大体300gになります。
300gのパンは約900lcalで、水っぽいスープを約100kcalとすると、合わせて1,000kcalになります。
重労働者には1日2,400kcal必要と言われているので、1000-2,400=-1400kcalも必要なエネルギーが足りていませんでした。
しかも、これまマシな方ですからね…。
フランクルさん曰く、そういう状況で働いてると脂肪は全くなくなって、消費するものがないので筋肉すら消費し始める感覚があったらしいです。
それに、いつ解放される分からないんで精神的にすり減っていきます。
このように強制収容所での生活はひどいものだったんですが、フランクルさんは生き残ることができました。なぜかと言うと、生きる意味を知っていたからなんです。
1人1枚のキャンバス
具体的にフランクルさんは、どのように考えていたのでしょうか?
でも、発想を全く逆にしよう。
僕らは人生から生きる意味を問われている、と考えよう。
少しわかりにくいと思いますので、僕なりにわかりやすく説明しますと、
僕らには1人1枚のキャンバスが配られている、って僕は考えました。
「私の生きる意味ってなんだろう…?」って考えたことある人もいると思います。
これをキャンバスに問いかけたとします。
当たり前ですが、答えが返ってくるわけないですよね?
キャンバスは、ただの素材なので。
だから生きる意味を見出すために、発想を逆にして常にキャンバス(人生)から生きる意味を問われていると考えると、生きる意味を出しやすくなります。だから、まずその発想の転換が必要です。
自分を待ってくれてるのは何?
では、具体的にどのように生きる意味を考えればいいかと言いますと、自分の待っているものを意識することです。
フランクルさんは強制収容所に入れられ、その中を生き抜かなければなりませんでした。
その時に、自分が待っているものを意識したんですね。
例えば、自分が大切にしている家族・自分が誇りを持ってやってる仕事。
そういうものが待っている。だからこそ、ここ生き抜かなければならない。
そう考えることによって、自分の肩にかかっている責任の重さを自覚できた。
それが生きる強さとなったんですね。
フランクルの人生と生きる意味
「いや、そもそも僕には待っているものなんてないよ!」
なんて声も聞こえてきそうです。
それと関係した話を、フランクルさんのその後の話を交えてします。
フランクルさんは、37歳の時に強制収容所に入れられ、40歳に解放されました。
実はフランクルさん、収容される9カ月前に結婚してたんですね。
その奥さんとフランクルさんのお父さん・お母さんも一緒に強制収容所に入れられました。
とても残酷なことに、強制収容所で奥さんもお父さんもお母さんも亡くなってしまったんです…。
ようやく解放されたのに、その事実を知ったら多くの人は絶望すると思います。
でも、フランクルさんはそうじゃなかったんです。
悲しかったとは思うんですが、なんと42歳で新しい奥さんを見つけて結婚してるんですよ。
そして、その女性と50年以上仲良く暮らしてます。
仕事も精力的にこなされて、66歳まで神経科病院でバリバリ働きました。
その後、老後を過ごして92歳で亡くなった、ということです。(参考:wikipedia)
この話から思うことは、待っているものがなくなってしまったとしても、人生はまたそこからやり直せるということです。
フランクルさんは、待っていたものが実際になくなってしまった。
でも、新しくそれを作り出すことができた。
そして、人生を全うすることができた。
なので、「自分には待っているものは何もない」と嘆くのではなく、フランクルさんのように生きる意味がなくなってしまったとしても、そもそもなかったとしても、自ら生きる意味を作っていけばいいんじゃないかと思いました。
ではまた、別の悩みでお会いしましょう。