「人生に意味はない」の本当の意味【白紙のノートと人生】

おはようございます。

今日は日曜日なので好きなことを好きなようにユウキが書くコーナーです。

(とはいえ読者の役に立つような内容を意識して書いていきます。)

本日は科学的根拠は一切なく、どちらかと言えば哲学チックな話です。

今日の記事を書くきっかけになったのが、友人とのグループラインでのやり取りです。

 

友人
焼肉屋で酒を飲んでダベろうぜ!
ユウキ
(僕もアホな会話しながらダラダラ酒飲みたいなあ)付き合いまっせ!
友人
ろくでもない会だけど、参加するの?

 

たぶん友人は僕が仕事で忙しいと思って、飲み会に参加することに少し気を使ったのでしょう。

 

それに対してどうのこうのというより、その時ふと「あれ?そもそも人生って全部ろくでもなくね?」と思いました。

 

本当に人生はろくでもなくて、意味がないものなのでしょうか?

 

今日は「人生に意味はあるのか」という疑問の答えを解いてみました。

(一個人の意見ではありますが。)

 

では見ていきましょう。

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人生に意味があったら困る

 

人生で必ずしなければならないことはあるでしょうか?

何もありません。

 

 

強いて言えば、子供を作らないと自分の遺伝子はそこで途絶えるので生物的には終わりです。

と言っても、人生で何かを成し遂げなくても全く問題はありません。

 

というか、人生は何かしなければならないと勘違いするかもしれませんが、そんなことがまかり通ったらとんでもないことになります。

(まかり通ってしまった例が独裁国家で有名なナチスですね。)

 

ここからは人生をノートに例えて話していきます。

 

人生は白紙のノートと一緒です。

何かを書いてもいいですし、何を書かなくてもいいです

破いて捨ててしまってもいいですし、1ページ1ページにパンパンに詰め込んでも構いません。

 

ただし、ルールがあります。

ノートの中の紙の枚数には限りがあります。

ノートの質感や大きさも決まっています。

このルールだけはどうあっても侵すことができません。

 

人生に置き換えると

ノートの紙の枚数=命の長さ

ノートの質感・大きさ=自分の体

これだけが決まっていて、使い方は自由です。

 

ノートに書かなければいけない内容が決まっていたり、人生でやらなければいけないことがあったら困ってしまいます。

自分で「意味」を見つける

 

ではノートに何を書けばいいのでしょうか?

 

書きたいことを書くしかないです。

 

誰かに「愛について書け!」と言われて強制されて書いてもいいです。

「愛について書きたい!」と発奮してみずから書くのもいいです。

(ただどちらかと言えば、後者の方が楽しそうに見えますね。)

 

ノートに何を書いても良いですが、何かを書こうと思ったら、何を書きたいかを自分で決めなければいけません。

 

『書くこと』は、『書きたい』と同じです。

書きたいとは意思です。

意思を持つためには自分で意味を決めないといけません。

価値を決めるとも言い換えられます。

「意味」を見つけないと振り回される

 

意味や自分にとっての価値を決めておかないと振り回されることになります。

 

「愛について書け!」  →  愛について書く

「金について書け!」  →  金について書く

「仕事について書け!」 →  仕事について書く

 

誰かに言われたことを書き続けてもいいのですが、一貫性がないノートになります。

 

でも問題はありません。

だってノートの内容に関するルールはありませんから。

最後は「信じる」しかない

 

「充実したノートにしたい」

「人に認められるようなノートにしたい」

「愛にあふれるノートにしたい」

「人に役に立つノートを作りたい」

などなど、普通であれば色んな意味や価値を決めることになります。

 

ただ最後には「こう書きたい」と思ったそれ自体を信じる強さが必要になります。

人生を意味あるものにしたいなら、意味を信じるしかないです。

だって人生は白紙のノートと同じで意味がないですから。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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