この記事は
- 人脈作りに奔走している人
- 友達の入れ替わりが激しい人
に役に立つ・・・というか、読んでもムダにはならない内容にしました。
実は先日、古くからの友人にブログの場所を教えました。
少し恥ずかしいですが、知り合いに見られてもいい内容にしてきたつもりです。
その甲斐あってか、良い反応をもらったり、建設的な意見をもらったりして大変参考になりました。
その経験を含め、古い友人は大切にしておいた方がいいよ!という主旨で、この記事を書きました。
では、みていきましょう。
付き合いが長いという事実
付き合いが長いというのは、相性が良いという紛れもない証拠です。
これは情報で溢れた現代では意外な盲点だな、と思いました。
そう思ったのは、妻が僕の両親に関してこんなことを言ったからです。
僕はこれを聞いて、びっくりしました。
というのも、生まれてから今まで両親をみてきましたが、ケンカをする場面も何度も見たことありましたし、今でも小さな口喧嘩を見かけるからです。
でも2人ともよくグチグチ言い合ってない?
それにこの前、お父さんが酔っ払って帰ってた時、お母さん介抱してたしね
付き合いが長すぎて見えなくなってしまうこともあるのだな、と感じました。
冷静に事実だけをみれば、数十年も付き合いがあるというのに、仲が悪いなんてことはありえないのです。
これは、友人関係でも同じことです。
付き合いが長い友人は、一見大したことがなさそうに見えても、とても相性がいいのです。
時の洗礼を受けても残っている人間関係というのは、ちゃんと意味があるのです。
膨大な時間を背負っている
あなたは小さな頃の写真やホームビデオを捨てますか?
そこまで断捨離ができる人ならすごいと思います。
ですが、大部分の人は捨てないはずです。
なぜなら、それは変えられない自分の歴史であり、自分の過去であるからです。
自分を知るということは、人生を豊かに生きていくには重要な指針です。
自分の居場所が理解できているからこそ、どこに向かえばいいかわかります。
Googleマップがインストールされたスマホがあっても、GPS機能が壊れていたら使い物になりません。
小さな頃の写真やホームビデオがなくても、簡単に自分の立ち位置を教えてくれる超有能な存在がいます。
そう、この記事のテーマになっている、古くからの友人です。
自分がどこにいるか教えてくれる
僕は古くからの友人は『外部記憶装置』みたいな役割をしてくれていると感じています。
もちろんありとあらゆることを覚えてくれているわけではありません。
ぼんやりと、重要なことだけ覚えているのです。
しかも客観的に。
これはすごいことなんです。
例えば、僕が妻に暴力を振るったとします。
僕を知っている古くからの友人は、たぶん僕のことを止めるでしょう。
社会規範から外れている行為でもありますが、僕がそんなことをする人間でないことをよく知っているからです。
つまり、ユウキという人間のイメージから、明らかに外れた行為をしたときには「お前、イメージからズレてるぞ」と教えてくれるのです。
徐々に変化していくことに対しては、人間はあまり抵抗しませんが、急な変化に対しては危険信号を送るようにできています。
自分のことばかり考えていると、視野が狭くなって急激に変化しすぎていることに気付けません。
それを的確に抑制できるのは、自分の歴史を知っていて、客観的な意見を言える古くからの友人しかいないのです。
貴重な脳のスペースを割いている
以前の記事でも話しましたが、身近な人間関係を維持できる限界の人数は30~50人くらいです。
これは努力でどうにかなる問題ではなく、脳科学的に決まっています。
限りある貴重な脳のスペースを割いてくれているのです。
「こいつは友達だから手荒く扱っても問題ねえわ笑」みたいに考えたりすることがある人は、少し考えを改めた方が良いかもしれないですね。
お金を友人には換えられない
『お金には換えられないよ!』
みたいなセリフは、どこかのドラマで聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
僕はこれは少し違うと考えています。
- 友人→お金:可能
- お金→友人:不可能
だと考えているからです。
『友人→お金』への変換
これが可能な例は、一番わかりやすいのがマルチ商法です。
マルチ商法は、会員が新規会員を誘い、その新規会員が更に別の会員を勧誘する連鎖により、階層組織を形成・拡大する販売形態である。
Wikipediaより引用
これは会員になってくれる友人が多ければ多いほど、自分の利益は多くなります。
少しわかりにくい例は、会社です。
会社の存在意義は、利潤の追求です。
利潤とはだいたい儲けたお金のことです。(数値化されていてわかりやすいですしね。)
お金を稼ぐために、協力して働きます。
会社の中では言うまでもなく、人間関係がとても重要です。
人間関係が悪いと仕事が潤滑に進んでいかないからです。
これは友人関係というよりかは、ややドライな人間関係をお金に変換していると考えています。
このように実際に友人関係・人間関係をお金に変換している例はあるので、『友人→お金』の変換は可能であると言っていいでしょう。
『お金→友人』への変換
お金を友人に変えた例を、僕は見たことがありません。
前〇社長ほどの人でも、お金を人間関係に変えることは難しいようです。
(例のお見合い企画では、27722人も申し込みがあったのに1人も良い人がいなかったのでしょうか?)
お金を目的に近づいてきた人は、お金が無くなれば目的を果たすことができないので、すぐに去っていくでしょう。
逆に近づかれた人は、「お金がなくなればこの人はいなくなるんだろうか?」という不安を消し去ることができず、精神衛生的によくないです。
古い友人は、何の肩書きがないころから付き合ってくれています。
こういうときのポジティブな声掛けは、心に染みます。
僕の場合であれば、一生懸命ブログを書いているのにも関わらず、ブログを読んでくれる人はほとんどいません。
インターネットの構造上、初期アクセスが少ないことはわかっています。
頭でわかっていることと、腹で納得していることは別問題です。
このブログがこの先どうなっていくかはわかりませんが、仮に月100万人の人が見てくれるようになったとします。
そういうときに「ブログとても頑張ってるんですね!感動しました!」と言われることと、何の肩書きもないときに「お、がんばってんじゃん」と言われるのでは価値の重みが全然違います。
話をまとめると、友人をお金に換えることはできても、お金を友人に換えることはできません。
なので、古い友人はなおさら価値が高いのです。
ネットの情報に踊らされないように
古い友人の価値については少しは伝わったでしょうか。
最近はSNSで、とても簡単に人と会うことができるようになりました。
たくさん人に会えば友人もできていくでしょうが、人間関係を維持できる人数には限界があります。
新しい友人は簡単に作れても、古い友人との歴史はそう簡単に作り上げることはできないことを念頭に置いて、良い人間関係作りに励むようにしていけるといいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました!