小さな頃に発達障害があったかも【経験談】

この記事は

  • 大人の発達障害かもしれなくて、不安だ
  • 社会にうまく適応できない自分を責めてしまう
  • 診断不可能な、軽度の発達障害を持っているかもしれない

という方に役に立つ記事です。

では、みていきましょう。

 

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発達障害とは?

まず発達障害とはなんでしょうか?

発達障害は、神経発達障害と呼ぶ方が適切です。
神経発達障害は、特定の技能や一連の情報の獲得、保持、応用を妨げることがある神経学的病態です。
神経発達障害によって、注意力、記憶力、知覚、言語、問題解決能力、対人関係に支障が出ることがあります。
こうした障害は、軽度で行動介入と教育的介入によって対処しやすい場合もありますが、重度で小児にそのような介入以上の支援が必要になる場合もあります。神経発達障害の例としては、以下のものが挙げられます。
 
・注意欠如・多動症
・自閉スペクトラム症
・読字障害や他の学習領域での障害などの学習障害
・知的障害

 

発達障害の定義 – 23. 小児の健康上の問題 – MSDマニュアル家庭版 より引用

 

ざっくり言えば、学習能力・コミュ力が現代社会向きではない、ということです。

 

僕は発達障害があった…かも

僕は発達障害があった…かも

小さな頃、医師に言語障害だと判断されました。
 
(『ありました』と過去形で言っているのは、今は言語の不自由さをまったく感じていないからです。)

 

言語障害があった幼稚園時代

僕は言葉を習得するのが遅くて、『ことばの教室』に通っていました。

『ことばの教室』では、どのような原因で言語障害が起こっているのかによって、対応方法が変わりますので、一律に同じことが行われているわけではありません。。
ここは、簡単に言えば、言語習得が遅れている子供を支援してくれる場所です。

 

大人になって、わかったこと

大人になって、わかったこと

僕の身の回りの人に「小さな頃、言語障害があった」と言っても、なかなか信じてもらえないほど、読み・書き・喋り言葉には苦労しなくなりました。

ただ、いまだに少し苦労しているのは、聞き言葉です。
というのも、雑音がする環境では人の話を聞きとるのには、かなりの集中力が必要だからです。
僕は言語障害があったのではなく、『聴覚処理障害』が根本原因だったと考えられます。

『聴覚処理障害』とは、耳は十分に聞こえるのに、聞こえた音をうまく聴き分けることができません。
僕は雑音が混じる環境で、特定の人の声などを聴き分けるのが苦手です。

 

キチンと診断すれば、聴覚処理障害の診断はされると思いますが、時間のムダなので行っていません。
(どうせ治らないので。)

 

僕は『自分を気に入っている』

僕は聞くのが苦手ということを、大人になってからわかりました。
 
昔から読書をしていたのは、読書が好きだからではなく、聞く能力よりも読む能力の方がいくぶんマシだったからです。 
そう考えると、パズルのピースがはまったような気がしています。 
足りないことを悩んだことも少しありましたが、現在は自分自身に自信を持つことができています。

聞く能力が弱いお陰で、読むことに多くの時間を割けました。
聞く能力が高かったら、こんなに読むことに集中はできませんでした。
そして本を多く読む機会があったからこそ、たくさんの知識を得ることができています。

だから僕は、制限があることはそんなに不幸なことじゃないと考えています。
逆に変えられることと、変えられないことがはっきり分かれていて、心は晴れやかです。

 

次回は人類の歴史という、もっと大きな枠組みで発達障害を考え直す記事を書きます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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